夏は幽霊の季節。「東海道四谷怪談」のお岩さまのように恨みを抱いたおどろおどろした幽霊芝居が上演されるが、NLTプロデュースによる三越劇場公演(八月二十日〜三十日)「嫁も姑もみな幽霊」(池田政之作・演出)に登場する幽霊たちは、みんな善良でからりと明るい。この世に残した家族を心配するあまり、あの世からカツを入れにやってくる愛情溢れる霊ばかり。逆にこの世の人たちが腰を抜かして大騒ぎになる。このギャップが笑わせてしんみりさせる。
この作品は、ブールヴァール劇(フランスのしゃれたコメディ)を得意とする劇団NLTが二〇〇二年八月、三越劇場で初演。〇四年の名古屋の名鉄ホールの後、全国一〇〇都市余りを巡演、観客動員10万人を達成した大ヒットオリジナル喜劇なのだ。四演目となる今回は、出演者がぐんと若返り、適材適所のキャスティングによるニューバージョンで笑いも倍加しそうだ。
東京下町にある老舗和菓子屋「みずさわ」。妻の克子と母の梅子に先立たれた当主の若旦那圭輔は、職人の源造に店をまかせきりで恋愛小説の作家になった。「なんなら暖簾ごと持っていってもいいよ」と無責任発言。克子の三回忌をすませ、さっさと十八歳年下の舞衣と再婚。二人でワインを飲み、原稿もほっぽらかし。原稿取りにきた出版社部長の尾崎に向かって「新婚だって分かってんだろ。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ」と憎まれ口を叩く。風間トオルの圭輔の見せ場だ。
一方、菩提寺の放蕩住職が墓地を潰してマンションを建てるからと、ブルドーザーで水澤家の墓を倒した。その裂け目から現われたのが克子で、「何よ真昼間から夫婦でワイン?私はお義母さんがいたから家政婦よ。それもタダ働き」と先速の嫌味。克子を見た源造は失神してひと騒ぎ。雷鳴とともに姑の克子が「嫁の身で姑の世話を放り出していいと思ってるのかい」と登場、舞衣を横目に「嫁が二人、これは楽しみかもしれない」とニヤリとする。
初演から田村亮と夫婦役を演じてきた音無美紀子がただ一人残り、克子から梅子に昇格。初演は淡路恵子、さらに南田洋子、鳳八千代が演じてきた梅子を継承するが、姑の貫禄十分。圭輔に「わが子を思わない親がどこにいますか。道を迷わず幸せになればそれでいい」と言い聞かせる。音無は説得力がある。母の膝枕で甘える圭輔も、やっと店と作家活動を両立させる決意をするのだから、あの世からきた甲斐があった。とよた真帆の克子との丁々発止も見ものである。
克子と梅子の同行者は、煙草屋の老婆と克子の弟の優の二人。十一歳で死んだはずの優はハンサムな青年に成長、恋をしたいと下界にきて舞衣に一目惚れする。「これが恋なのかなあ、胸が痛い」と嘆くのが哀れ。克子の一人息子の健太郎は「ママ」「ママ」と甘える。その甘えぶりがジャニーズJr.の長谷川純にぴたりとはまりそう。がっちりタイプのモロ師岡の源造が、克子を見て失神するのも笑わせる。梅子の妹竹子の阿知波悟美以下、喜劇に手慣れた劇団NLTの俳優がしっかり脇を支える。「馬鹿息子」と先代住職が凄い形相で現われカツを入れる場面も笑わせる。
風間トオルの圭輔は、最後まで克子と梅子の姿を尾崎に見せまいと部屋に鍵をかけたり、着物で隠したりと孤軍奮闘する。すべてテンポとの芝居になる。それがずれると大変だ。ベテランの寺泉憲が部長の尾崎役だから、その競い合いも面白い。
二幕目の幕あき。庭に四着干している経帷子の三角が風に揺れている。少々不気味な感じがするが、家族揃って花火で遊ぶうちに、幽霊たちがふっと消える。悲しい別れの場がないだけに余韻が残る。「青々とした葉っぱから落ちる綺麗な雫。それを青時雨と言うんだ」と語る圭輔の言葉は、詩的で叙情的な雰囲気をかもし出す。
幽霊騒ぎの中に母と子、嫁と姑、夫と妻の問題がきっちり描かれ、家族の愛というテーマがくっきりと浮き彫りにされる。心暖まる人情喜劇で爽やかな後味がする。池田政之のヒット作である。
Yokomizo Yukiko
学習院大学政治学科卒。時事通信社文化部演劇記者を経て、編集委員を務めた。文化庁芸術祭、芸術選奨などの選考委員を歴任。
現在、演劇評論家。公益社団法人日本演劇協会常務理事。公益財団法人都民劇場評議員。